
写真を撮ったとき、ちょうど義経夢想祭というイベントを
やっておりました。

写真の林の中に白い吹き流しの様なモノが見えるところが
旗山といいます。
馬に乗った義経のブロンズ像が建てられています。
また、旗山はおいおいに日記で紹介します。
源義経は、屋島の合戦のときに、この小松島の海岸に
着き、そこから讃岐屋島に入ったそうで、
そのゆかりの地。
実際は台風の影響で、屋島に上陸するつもりが流されて
しまった様です。
辿り着いた小さな山を旗山と云うようになりました。
義経が「ここはなんというところか?」と尋ねた際
「ここは勝浦(当時)と申します」と答えたところ
「戦の前に勝浦とは縁起がいい」と云ったと
伝えられております。
それで想い出しましたが、船の旅ってもう何年も
やったことがないなあ。
一番、最後の船の旅は東急オーシャンフェリーで
東京から田舎に帰ってきた、もう十数年前のことです。
今日の朝刊に高松市の国道フェリーと四国フェリーが
廃止となって宇高航路が来月3月26日で百年の
歴史を閉じることになります。
上京や帰省の際、何度か利用したことがあります。
こんなことがあったっけ。
当時の上りの宇高連絡船に乗ろうとして通路を渡ってると
降りてくる見知らぬ客から
「○○さんでしょ。元気にしてるん。どこ行ってるの?」
って聞かれて・・
「すいません。私は○○ではないです。人違いです。」
と答えても全然信じて貰えなかった事件がありました。
そのとき・・
「世の中に自分とそっくりな人間は3人いる」
ってことを信じましたよ(笑)
本四架橋が出来る前は、我がふるさとは港町なので
そこから和歌山港経由でもよく船は利用してましたね。
私は船でふるさとをあとにすることが一番辛いことでした。
景色がだんだんと小さくなって行くんです。
街の景色が小さく小さくなって消えるまで甲板で眺めてた
ことを今でも想い出します(涙)
演歌に船旅の悲しい気持ちを語る唄が多いのはうなずけます。
宇高航路が消えてしまうのことは本当に惜しまれます。

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